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涼ケ岡八幡神社(相馬市坪田字涼ケ岡51)
建武年間(1334-1336)に創立され、元禄8(1695)年に相馬中村五代藩主相馬昌胤公によって、現在の社殿が造営され境内が整備されました。近郷でも群を抜く壮美な宮殿で、当時は「相馬日光」と称されました。
八幡神は、欽明天皇32(571)年に神霊により誉田別命(応神天皇)であるとのお告げがあったとあります。
その後天皇家が伊勢神宮に次ぐ第2の祖神として重んじるようになり、中世には源氏が守り神としたことから多くの武家に武神として崇敬され、国家鎮護、必勝、合格祈願、諸業繁栄、病気平癒、そして海上安全、大漁満足、安産他で信仰されています。
平成24(2012)年、元禄8(1695)年に造営され現存する7棟全てが国の重要文化財に指定されました。
また、縁結びの榧(カヤ)は、古木2本が地上およそ5メートルの位置にある太い枝でつながっている(学術用語で「連理」といいます)、極めて珍しい榧の木です。このため、縁結び・夫婦円満・家庭円満など、結びつき・支えあいの象徴としてお参りされています。
鳥居をくぐり桜の花に囲まれた放生池に掛かる朱色の神路橋を渡ると4/7日頃から1週間、参道に並ぶ赤い灯篭に明かりがともります。満開の桜と朱色の太鼓橋のコントラストが見どころです。(相馬市観光協会ホームページより)
相馬中村神社(相馬市中村字北町140)
相馬中村神社の始まりは、社伝によれば今から一千余年前の承平年間(931~937)相馬家の先祖、平の将門が下総の国猿島郡という所に妙見社を創建して戦勝を祈願、併せて国家安泰、国民諸行の繁栄を祈念したことに始まり、後孫師常公が、下総の相馬郡に社殿を建てたと伝えた後、元亨三(1323)年になって、師常より六世の孫相馬孫五郎重胤公が、鎌倉から初めて奥州行方郡に移ると同時に妙見祠を大田に移し、正慶元年(1332)年、小高に築城して移るとき神社も移されました。さらに慶長十六(1611)年、相馬利胤公が相馬中村に城を移したとき妙見神社も中村城内へ移されました。これが現在の相馬中村神社です。相馬中村神社は、相馬家代々の氏神として崇敬されてきたばかりでなく、相馬地方の総鎮守として中村城郭内の西にある小高い丘に建っています。
現在の本社建築本殿・幣殿・拝殿は、寛永20(1643)年、18代藩主相馬義胤によって建立され、相馬地方の代表的な古建築として国の重要文化財に指定されています。用材として欅をふんだんに使った権現造りで、本殿及び拝殿正面の蟇股と呼ばれる部材は神社由緒を象徴するように馬の彫刻が施されています。現在建物は白木造りの様相を呈していますが、本殿は本来、木部全体に漆塗りされておりました。建立後三百五十年という歳月により建物は真の姿を隠しておりますが、内部に施された漆塗り、彩色はよく残り当時の装飾美を今に伝えています。現在の社殿はほぼ20年ごとに都合10回の修理を重ねており、平成29年から行われた大修理では、屋根も創建当時のこけら葺に改修されました。
春は境内に桜が咲き誇り、訪れる人を迎えます。(相馬市観光協会ホームページより)